指定暴力団稲川会のトップの辛炳圭(シン・ピョンギュ)氏(84)が死亡
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001 2025/04/22(火) 20:22:07 ID:O2LsWfj/a6
指定暴力団稲川会トップの清田次郎総裁が死亡していたことが分かりました。病気で入院していて、病死とみられています。
捜査関係者によりますと、指定暴力団稲川会のトップ・清田次郎総裁こと辛炳圭(シン・ピョンギュ)氏(84)が今月21日、川崎市内の入院先の病院で死亡しました。
病気で入院していて、病死とみられています。
清田総裁は2019年に稲川会の総裁に就任しました。
去年末時点での稲川会の構成員は約1600人で、最大勢力である山口組や住吉会に次ぐ指定暴力団で3番目の規模です。
警察庁によりますと、稲川会は2024年10月に幹部の昇格人事を行うなど組織の強化や活性化を図ったとみられていて、山口組や関東地区の団体と関係を維持しています
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014 2025/04/23(水) 14:20:57 ID:7.W0jA1vac
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アイク歓迎実行委員会は、1960年に新日米安全保障条約批准を記念したドワイト・D・アイゼンハワー大統領訪日を前に、左派による反発に対抗するために自由民主党安全保障委員会が組織した警備組織のこと。橋本登美三郎が委員長を務めた。岸信介首相は、同じ元A級戦犯容疑者の児玉誉士夫を頼り、右翼団体や暴力団との仲介を得、テキ屋(暴力団)、旧軍人、消防団関係、宗教団体、右翼団体などが動員され、左翼の集会に殴り込みをかけさせた。この動きに伴い、黒塗りの街宣車で大音量の軍歌を流す典型的な「街宣右翼」が登場した。
1960年(昭和35年)6月初旬、右翼の小沼正から鶴友会会長の稲川角二に対して、同年6月19日に予定されていたアイゼンハワーの訪日に関して、現在の警察の警備力では不十分であり、任侠団体に警備の協力をしてもらいたいとの申し出が自由民主党筋からあったことが明かされたことから始まる。
アイゼンハワーと、昭和天皇・香淳皇后両名を乗せたオープンカーが、羽田から皇居までの18.7キロの道をパレードすることになっており、その沿道を2メートル間隔で警備するためには1万8700人の警備要員が必要になるが、警視庁警察官の数は2万4000人であり、警備に動員できる警察官の数は1万5000人が限度であり、必要な警備要員を確保する目途が立っていなかった。そのような状況の中で、自由民主党安保委員会が組織したのが、「アイク歓迎対策実行委員会」である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%...
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